教会史の最近のブログ記事

木綿崎焼立教聖場

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20050920.jpg『金光教徒』の大正8年6月22日号紙上で広告され、同10年の大教会所新築落成記念に予約頒布されたもので、霊地在住の小笠原仙太郎氏の作である。
この小笠原仙太郎とは、当教会3代教会長・小笠原豊師の父である。教会が戦災にあったため、当教会には残っていないのが残念である。
写真は、平成11年10月に発行された『大谷を津に 教祖様の息吹が聞こえる』に掲載されていたものを転載させて頂いた。
20050613.jpg大阪市平野区にある瓜破霊園に、初代白神新一郎先生をはじめとする大阪教会の奥城があり、そのすぐ近くに虎ノ門教会(旧・西久保教会)初代・御園先生の奥城もあります。初代白神新一郎先生がお亡くなりになったとき、そのご葬儀にお参りできなかったことが心残りであったようで、亡くなった折りには、初代白神先生の奥城の近くへということから大阪にあると聞いています。
この一角にある墓地は、当初は阿倍野霊園にありましたが、道路の拡張等の問題からか、一部がこの瓜破霊園に移ってきたようです。

御金神社

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20050608.jpg金光新聞3月27日号で「御金(みかね)神社」が紹介されていた。
この神社は、虎ノ門教会初代御園師が18歳の時、大阪で金物商を営んでいた田中庄吉師と結婚し、その後、病気平癒を願って初代白神新一郎師のお広前に参拝したことがきっかけとなって、田中夫妻が布教のために設立したものである。
その後、家庭の事情から復籍し、明治17年、新橋烏森で単身布教に従事することとなった。
およそ10年ほど前にこの神社を訪ねたことがあり、提灯のご紋や石灯籠が、本教の教紋と似ていたのに驚いた記憶が今でも残っている。
20050607.jpg金光教虎ノ門教会は明治17年2月、新橋烏森にて伝道に当たられた初代教会長・御園ヤエ師に始まります。
御園先生は安政3年、千葉県荒老村に生まれ、才気の高さから井上河内守の屋敷で武家奉公をしていました。嫁ぎ先の大阪にて、初代白神新一郎師のお広前に参拝され、「天地の親神様なり」との御理解にいたく感激すると共に、白神先生による渾身の日切りの御祈念により、わずか4日で子宮癌平癒のおかげを頂かれました。
以後、自ら打ち込んで「人を助けて己が助かる信心」に励まれました。
しかし教団組織成立以前の事であったため、伝道は困難を極めましたが、「いずれに所属しても心さえ誠であれば、人は助かります。」との三代金光様のお言葉を励げみに御用に専念し、明治40年、烏森小教会所として認可を受けました。
その後、現在地に移転し西久保教会と改称され、以後、関東大震災、強制疎開、戦災などに遭いながらも、その都度復興のおかげを頂き、現在は虎ノ門教会として小笠原富貴雄師により仕えられています。

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