長患(わずら)いの人や代々難儀(なんぎ)の続く人が、神のおかげを受けるのは、井戸替(が)えをするようなもので、八、九分(ぶ)替(か)えて、退屈(たいくつ)してやめれば掃除(そうじ)はできない。水はやはり濁っている。信心も途中(とちゅう)でやめれば病気災難の根は切れない。井戸水は清水(せいすい)になるまで、病気災難は悪い根の切れるまで、一心に神へ願い、健康で繁盛(はんじょう)するように元気な心で信心をせよ。(天地は語る331節)
明治17年(1884年)2月、東京の新橋烏森での布教開始から140年。教会設立117年。そして、春日部に移転し、布教18年目を迎えました。
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長患(わずら)いの人や代々難儀(なんぎ)の続く人が、神のおかげを受けるのは、井戸替(が)えをするようなもので、八、九分(ぶ)替(か)えて、退屈(たいくつ)してやめれば掃除(そうじ)はできない。水はやはり濁っている。信心も途中(とちゅう)でやめれば病気災難の根は切れない。井戸水は清水(せいすい)になるまで、病気災難は悪い根の切れるまで、一心に神へ願い、健康で繁盛(はんじょう)するように元気な心で信心をせよ。(天地は語る331節)
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