信心をしていれば神と心安いのと同じであるから、大難は小難に、小難は取り払(はら)いのおかげをやる。これほど信心をしても、まだこのような難を受けると言うのは、真(まこと)の神徳を知らない者の言うことである。難は人間には計り知れないものである。熱心に信心している者でも、難が強く信心をやめる者がある。信心をして難の根の切れるおかげを受けなければならないのに、難の根よりも先に信心の根を切るのは、やはり真の神徳を知らない者のすることである。信心する者は、真の神徳を知らなければならない。(天地は語る247節)