水をかぶって行(ぎょう)をするというが、体にかぶっても何にもならない。心にかぶれ。寒三十日の水行(すいぎょう)をするといっても、それは体を苦しめて病気をこしらえるようなものである。家内や子供の病気のために水をかぶって、一週間日参(にっさん)をしても治らなければ、自分の体に傷(きず)がつくだけである。水をかぶったから真(まこと)である、水をかぶらないから真がないとはいえない。食わずの行をするのは、金光大神は大嫌(きら)いである。食べて飲んで体を大切にして信心をせよ。(天地は語る202節)
明治17年(1884年)2月、東京の新橋烏森での布教開始から141年。教会設立118年。そして、春日部に移転し、布教19年目を迎えました。
水をかぶって行(ぎょう)をするというが、体にかぶっても何にもならない。心にかぶれ。寒三十日の水行(すいぎょう)をするといっても、それは体を苦しめて病気をこしらえるようなものである。家内や子供の病気のために水をかぶって、一週間日参(にっさん)をしても治らなければ、自分の体に傷(きず)がつくだけである。水をかぶったから真(まこと)である、水をかぶらないから真がないとはいえない。食わずの行をするのは、金光大神は大嫌(きら)いである。食べて飲んで体を大切にして信心をせよ。(天地は語る202節)