信心は何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作物がよくできるようにとか、商売が繁盛(はんじょう)するようにとか願って参るが、それは一時(いっとき)のことである。信心は、末の安心を楽しみにしないと続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではなく、子孫に伝わる信心をすることが大切である。家庭が円満で、主人が信心しなければ、子孫には伝わらない。痛いのを願うのは信心の糸口ではあるが、それだけでは、治ればお礼参りをして、その後は参らないことになる。自分の心を改めて、よい子供を得ることを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神が喜ばれない。(天地は語る310節)