玉磨(みが)かざれば光なし、光なければ石かわらのごとし、と言われているが、信心する者は本心の玉を磨かなければならない。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かなければ光らない。人間は万物の霊長(れいちょう)であるから、本心の玉を磨いて、何事にも心がけをよくしなければ、自分は信心していると思っていても、人はそう見て敬ってはくれない。それは、身勝手な信心というほかない。(天地は語る106節)
明治17年(1884年)2月、東京の新橋烏森での布教開始から142年。教会設立119年。そして、春日部に移転し、布教20年目を迎えました。
玉磨(みが)かざれば光なし、光なければ石かわらのごとし、と言われているが、信心する者は本心の玉を磨かなければならない。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かなければ光らない。人間は万物の霊長(れいちょう)であるから、本心の玉を磨いて、何事にも心がけをよくしなければ、自分は信心していると思っていても、人はそう見て敬ってはくれない。それは、身勝手な信心というほかない。(天地は語る106節)