信心しているからといっても、みなの身の上のことが何もかも同じになるとはいかない。山の木が三十年たっている、五十年たっているといっても、同じような木ばかりはない。ある人は信心しないのに金持ちになることもあるし、信心してもなれないこともある。米麦を作っても、実のない白穂(しらほ)もできるし病気の黒穂(くろほ)もできる。そのように、全部同じようにとはいかないので、心を広く持って信心しなければならない。(天地は語る238節)
明治17年(1884年)2月、東京の新橋烏森での布教開始から141年。教会設立118年。そして、春日部に移転し、布教19年目を迎えました。
信心しているからといっても、みなの身の上のことが何もかも同じになるとはいかない。山の木が三十年たっている、五十年たっているといっても、同じような木ばかりはない。ある人は信心しないのに金持ちになることもあるし、信心してもなれないこともある。米麦を作っても、実のない白穂(しらほ)もできるし病気の黒穂(くろほ)もできる。そのように、全部同じようにとはいかないので、心を広く持って信心しなければならない。(天地は語る238節)