子供が十五歳にもなれば、そろそろ身しのぎをする術(すべ)を教えこまなければならない。自分のことは自分で信心しておかげを受けさせるようにしなければならない。親から見れば、大きくなっても子供のように思うけれど、かわいがり過ぎたり、世話をやき過ぎると、先のためにならない。かわいい子には旅をさせよ、ということがあろう。信心のありがたいことを話してやっていれば、ひとりでに親の跡(あと)を継(つ)いで信心するようになる。(天地は語る312節)
明治17年(1884年)2月、東京の新橋烏森での布教開始から141年。教会設立118年。そして、春日部に移転し、布教19年目を迎えました。
子供が十五歳にもなれば、そろそろ身しのぎをする術(すべ)を教えこまなければならない。自分のことは自分で信心しておかげを受けさせるようにしなければならない。親から見れば、大きくなっても子供のように思うけれど、かわいがり過ぎたり、世話をやき過ぎると、先のためにならない。かわいい子には旅をさせよ、ということがあろう。信心のありがたいことを話してやっていれば、ひとりでに親の跡(あと)を継(つ)いで信心するようになる。(天地は語る312節)