今朝の御教え

今朝の御教え(「荻原須喜の伝え1・1」より)

明治六年旧九月、私は二年間の血の道にて、病床に呻吟していた。父利喜三、母佐登も、夫の豊松も、私とともに当惑していた。無論、この間、医師、薬におろそかもなく、加持祈祷に手落ちもなく、よき薬あり、よき加持祈祷ありと聞けば、時のいかんも遠近もなく、すみやかに頼り求めて快方に向くことを願うていたが、何の験もあらばこそ、月日重なるに従って、草木の根がだんだん土中にからむがごとく、しだいに病気は重りゆくばかりであった。
この時、同じ郡内の彦さんという綿買い商人が来て、金光様のおかげをいただくようにすすめてくださった。この時分には金光様と言わず、金神様金神様と言っていたので、彦さんが「なんと、ここには娘ごがまだ寝ておられるのじゃなあ。どんなぐあいなら」とたずねておいて、「なんと、私は大谷の金神様で、ようおかげを受けておるんじゃが、ここにもひとつ金神様のおかげを受ける気になってはどうなら。私の家内が病気した時にも、子供が大病をした時にも、大谷の金神様へ参って頼んだんじゃが、言われるとおりに、ようなってきた。
また、参ってみりゃ、ほかほかの拝む人とは違うておるぞな。それは、どうも神々しいもんじゃ。まあひとつ参っておみんさい。ありがたいでえ。大谷の金神様が『治る』と言うてくださったら、ぜひようなるぞな。うちにおかげを受けてみて、得心しておるんじゃからなあ。悪いことは言わぬ。まあひとつ、明日の日にでも、参っておみんさい」と、まことに親切に教えてくださった。
そこで、その翌日、利喜三が参詣して、「私は西阿知から参った者でござります。私の娘が、はや二年間、血の道で寝ておりますが、もはや本人はもとより、がわの者も当惑いたしております。なにとぞ、金神様のお助けにあずかりとうござります。ご祈祷をしてくだされませ」と願い出た。金光様はやさしく、
「よしよし。娘はなんぼうになるのか」
とおたずねくださったので、「へい、当年二十一歳になります」と申しあげたところが、
「二十一といえば、丑の年じゃのう。信心しなさい。おかげが受けられる。私が拝んでやっても、そっちに信心がのうてはおかげが受けられぬ。信心しなさい。信心さえすりゃ、必ずおかげはあるからのう」
と教えてくださったばかりで、いっこうご祈祷はしてくださらなかった。
何か心残りのように思われはしたが、「これは、ここの流儀であろう。ご祈祷は後でしてくださるのであろう」と思うて帰り、「ともかくも、『信心せよ。おかげはあるから』とおっしゃったのであるから信心しよう」と言うて、神仏に信心しておった。