「今朝の御教え」 一覧
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信心しながらも、次々に不幸せが重なると、「何かのしわざではないでしょうか。何かの罰(ばち)ではないでしょうか」と言って参る者があるが、どうして、神がかわいい子に罰をお当てなさろうか。心得が違(ちが)っ ...
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大厄(たいやく)は小厄におまつりかえを、また、小厄はお取り払(はら)いをお願いせよ。物にたとえれば、たらいにいっぱいためた水を屋根の棟(むね)から少しずつ流してみよ。これが小厄のたとえである。それをど ...
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人間は、生まれる時に証文を書いてきているようなものである。生まれた時に、悔(く)やみを言いに行ってもよいくらいのものである。どういう災難があるとか、こういう不幸があるとかいうことは、決まっているのであ ...
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明日塩辛(しおから)を食べるからといって、今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。取り越(こ)し苦労をするな。(天地は語る246節)
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人間であるから、生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽(つ)きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。 ...
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