人間は、生まれる時に証文を書いてきているようなものである。生まれた時に、悔(く)やみを言いに行ってもよいくらいのものである。どういう災難があるとか、こういう不幸があるとかいうことは、決まっているのである。神はよくご承知なのである。信心を強くすれば、大厄(たいやく)は小厄にしてくださり、小厄はお取り払(はら)いくださる。それが、おくり合わせをいただくということである。(天地は語る248節)
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