明治八年より信心を始めました。その時、年は二十三歳。父平七は十年間のいざり病なり。その病のもとをたずぬれば、昔はころり(コレラ)という伝染病あり、その病に取りつかれて、すでに一命終わり、もはや葬式の場合において、また息吹き返ししが、今度はいざりになった。病気中いろいろ迷い、拝み手、ひねり手、まう(回る)。医者、神様も、頼まぬところとてはなし。どうしても足が立たぬ。
母りよは、父の病を苦にして血癪の病となり、一年を八分まで床につき、いろいろいたしても効き目なし。医師は、「死なんとして死なれず、生きんとして生きられず、とても、しばかぶらねば(死なねば)どうにもならぬ、難儀なものじゃわい」と言うていた。
さてまた私は、十八歳の時婿をもらい、十九歳の時一人の男子を産み、その夫がなかなか道楽者なり。病人には金がいるし、夫はその通り。そのため、相当の身代はあったが、まるっきりなくなった。私はいかにもして両親を助けたし、夫とては頼りにならず、子がなければ、たとえこの身を苦界クガイへ沈めるとも、子として親を助けねば一分イチブン(面目)が立たぬと、よいということはあらん限りした。実に子供の時より二親の苦しみばかり見た。
ある人のすすめにより、備前福泊フクドマリなる赤壁の金神(難波なみ)様へ参りました。右のわけをいっさい申して頼みました。そのばあさんの先生は、「此方の信心は、一心すれば治る。私の話を聞いて帰り、両親へ話をして二人が得心がいけば、おかげを頂く」と申しました。その時、私は「二人の病気が治ることなれば、どのような信心でもいたします」と申し、しばらくお参りいたしておりました。
帰りては二親に話をいたし、聞きては帰り、話をするうちに、長らくの病でぐちになりおる親も、しぜんと気分が穏やかになり、やれうれしや、おかげで穏やかになったと喜び、私は一心になりておりました。
それより、その先生について大本社へお参りさしていただき、金光様へお取次してもらいました。すると、金光様は、
「どの神へでも、わが一心と思う神へすがりさえすれば助けてくださる。あの神へも頼み、この神へも頼みては、神の力関(力のおよぶ範囲)が知れぬわいの」
と申されました。それを聞くより、私は「やれ、ありがたや。これまでどこへ行っても、このとおりの教えを聞かせてくだされた所はなし。金神のたてこみ、地が驚くから家の内に驚きがあるとばかり言うて、治ると言うてくだされた神はなし。治してくださる神様なれば、私は一命入れて助けねばおかぬ」と、これより力いっぱいに一心さしていただきました。
ところが間もなく、父の十年間のいざりも、ぼつぼつと一人立ちができるようになり、母はよほど全快した。それより、二度目に大本社へお参りさしていただき、金光様に「私の夫がまことに道楽者で困ります」と申しあげました。すると、金光様が、
「一心さえすれば、どうなりとなるわいの。神の都合、おくり合わせがいただけるわいの」
と申されました。ところが間もなく、夫の方よりやむをえず身をひかねばならぬ時期がきた。私は、これこそ神様のおくり合わせとうち喜び、夫と別れるのは今がご都合なり、おくり合わせなりと心を定め、一人の男の子を頼りと思い、夫と別れました。その時、私は二十四歳でありました。また、お礼参りをさしていただきました。金光様に御礼を申しあげますと、
「丑の年(青井サキ)、親をもったる者はのう、大切にしときなされ。やれ痛くなったと言うて、枕もとへ物を積み重ねても、食えはせぬぞよ。常にねんごろにしとかんと、ぽっくり往生ということがあった時に心残りになるぞよ」
と申されました。それを聞いて、私は「これまで親に不孝をしておったから、金光様が教えをくだされたに違いなし。されば、年老いたることゆえ、今より両親の好いたる物を食べさしてあげましょう」と、それより日々種々なる物をあげまして親を喜ばしていた。私は毎日四時に起きて、三年の間日参いたし、その間に二親ともすっかり全快いたしました。そして、大本社へは毎月、月参りさしていただきました。
今朝の御教え(「青井サキの伝え・1」より)