その後、明治十五年旧正月三日、大本社へ御礼さしていただこうと、父とともに岡山の福嶋を渡り、父はわがお寺へ参り、母の戒名と同時に、われのも頼むと申し、浜野のお寺へ参り、私は米倉の方へ行き、大本社指して参りました。その時の金光様のご理解に、
「親にはのう、何でもたずねておかぬと、親はいつまでも生きておるものでないわい」
と教えてくださりました。私は、さようでありますと、うかうかと聞いておりました。
明くる四日に帰らしていただき、親子ともお参りした話をして、その夜は休みました。明くる朝、父は寝間より起きず、頭が痛いと言うて、そのまま寝入りてなくなりました。私は一時驚きましたが、また気分を取り直し、「金光様が仰せられたぽっくり往生とはこのことじゃ。ありがとうございます」とお礼申しあげました。人は「あれは親が死ぬるようにお参りをしておるのじゃ」と言いました。
今朝の御教え(「青井サキの伝え・4」より)