その後、明治十五年三月十七日よりお取次さしていただき、日々いろいろなおかげをいただきました。
備前福泊村の大喜田喜三郎と申す人が、たびたび書物を送り来まして、「書物を学ばねば、お取次はできぬ」とむつかしく申しました。私は、それには心を苦しめました。今から書物を学ぶというわけにはゆかぬと思い、大本社へ参り、金光様にお願いいたしました。「金光様、私は無筆(無学)であります。今、いろいろと勉強せねばお道は勤まりませぬか」と申しあげました。金光様は、
「金光大神も無筆じゃわいの。あんごう(あほう)でものう、人さえ助かればらくじゃわいの。学者が人を助けたためしはない」
とご理解をしてくだされ、また、
「器用が身を食うということがあるわいの」
と申されました。結構であると私は思い、一心にお願い申して、決心を定めたお取次さしていただきました。
その時、ご理解に、金光様が、
「金神という神ものう、親見識を出して当たり障りをする時分にはのう、神棚の隅へ押しこまれておったわいのう。神が子に従うようになったらのう、金神様と言うて、様をつけてくれるようになったわいのう。人間ものう、親見識を振り回すとのう、子が言うことを聞かぬわいのう。子に親が従うてゆけばのう、子が親を尊んでくれるわいのう」
と申されました。まことに恐れ入りたるみ教えであります。
今朝の御教え(「青井サキの伝え・5」より)