金光様のことをお話しあり。二代金光様より巳の年にご説諭あり。
「金光様は、四十二歳の時に当たりて二つのお子あり。四十二は厄年にして、親が死ぬるか子が死ぬるか、二つに一つの厄年なり。これをご心配あって、国で一の宮は吉備津宮と改め、村には産土の神がある。また、ほかに神々多きゆえに、一心にお願いあり。
ある時に、国の吉備津様の前に参詣ありて、願いあるは右の次第なり。一心に金光様お願いある時に、お釜のおどうじあり。金光様も、その時、心のうちにて、『さてさて、あなた(神)より四十二の厄をしのがしてやろうとのことやら、かなわんとおっしゃることやら、凡夫の身ではわからん』と神前にて愁嘆をなさり。それより、金光様一礼をいたされ、下向いたさんとする時に、二度目のお釜どうじあり。金光様も、あなたのお屋敷(境内)にて、しばらくの間もの案じなさり。それより、わが家を指してお帰りあり、信心をいたしておいでなさり。
かかる四十二の年、御患いとなり、信心はもとよりお医者にもかかり、薬りて(治療して)病はしだいに重くなり、一家イッケ、親類も寄り集まっておるといえども、しようもなし。中に、親子来てくださっておる家あり。その時、息子さんの方が『このまま見ておるばかりではどうもならん』と申され、『あなたは日ごろ信心をいたしてござるによって、私が神様信心をいたしてあげねばならん』と真が起こり、これがあなたの神縁となり。
これより、この人が金光様のおうちで神様のお祭り事あり、一心に神々様にお願いあり。この時に、吉備津様よりこの人にお伝えあるは、『戌の年は本宅をいたして(母屋の建築をして)おるに、神にご無礼がある』とお下げ。ごあいさつに出るは、その親なり。神様に向かい、『ご無礼は、戌の年の身の上にはござらん』と押し詰めてござるなり。
この時、金光様ご大病にて体は動かず、ものも言われぬなれども、心の内で思われしは、『わしがものが言えれば、吉備津様に金光がお断り申しあげるなれども、さて、ものの言えぬは情けない』と心の内で愁嘆なさり。『誰兵衛は、神様に向かい、ご無礼がないということを言わねばよい』と思われても、ものは言われず、思うは心のこと。金光様、心の内で、『誰兵衛がご無礼がないと押しては、金光が命がなし。凡夫の身にご無礼がないということは言えず。わしがもの言えれば、お断りを申しあげるなれども、もの言われぬから是非におよばず』とご一心あり。その時、不思議なるかな、金光様、体はゆるみ、ものは言われることになり。神様の御徳はありがたいかな、限りなし。金光様、あなたより(病床から)すぐさま吉備津様に向かいお断りあり。金光様の心、吉備津様の心にかない、土地の氏神様の心にかない、世界のあまたある神々の心にかない。
吉備津様より、戌の年におかげを授けるぞと仰せられ、取次ぐ人お供米の上に幣を垂れれば、幣に豆と米がつき。吉備津様より戌の年に幣からの物をお渡しある時に、『戌の年は一心と金神に信心をいたしておれよ。一生、まめで五穀を授けてやる』とお言葉あり。そこで、金光様、一生まめでご安心なされた」
とのこと。
今朝の御教え(「市村光五郎の伝え3・1」より)