このお話を生神様からいただいた豊松は、まことにもったいなく思い、今までの自分らの信心は信心にも何にもなっていなかったことが悟られ、「今から、こなたへ一心になります」とお答えした。すると、
「それはいかぬ。帰って、一家相談のうえでのことにせよ」
と仰せられ、なお、
「今一つ言うて聞かせにゃならぬことがある。丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。はじめここへ参った時にも、昨日も今日も、参らんでもよいと言おうがな。それぐらいじゃから、日夜、諸事万事に不足ばかり言うておろうがな。こう言おうが。こう言おうが」
と何十となく、私の言うていることに一分一厘違わぬことをおっしゃり、
「それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。いんで、丑の年に言うてみい。そうして、丑の年が、なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。もし丑の年にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい」
と仰せになった。
今朝の御教え(「荻原須喜の伝え1・4」より)