豊松はもったいなく、ありがたく、宙を飛んでわが家へ立ち帰り、病床なる私の枕べにて、一部始終を物語った。私は「なるほど、もっともです。私はまことに悪い者でありました。ねじけ根性でありました。ほんにご無礼な心を持っておりました。ようまあ、これぐらいな難儀でおられたことじゃ。諸事万事について、不足とわがままよりほかの心はなかった。一寸きざみにせられてもしかたのない人間でありました。改心せんで、どうしますか」「お前がそうなってくれたら、このうえありがたいことはない。家内中それで助かるのじゃから。それなら、どこへ信心するか」
私が「それは、どこじゃない。こういうことを教えてくださった金神様へ信心せんで、どうしますか」と言い、そばで聞いて、うれし涙を流していた利喜三も佐登も、「お前らがそうなったら、大谷の金神様へ信心するのが一番よい」と言ったので、ここに大谷の金神様でおかげをいただくことに一決した。
そこで、翌日また豊松が参詣したところが、何も一言も申しあげぬうちに、
「巳の年、よう参られたのう。今度はおかげが受けられるぞ。三週間を楽しんでおかげをいただきなさい。わざに此方まで参らんでも、神は千里が末も一目じゃからのう。うちから信心しておかげをいただきなさい。三里四里を参って来うと思えば、一日の仕事を欠けにゃならず、こづかいもいり、弁当もこしらえにゃならぬからのう」
と仰せられた。まことに言うに言われぬありがたさ、もったいなさで帰り、それより大谷の方角に向いて、また金神様の神棚ミタナに向かって、日夜信心していたが、十六日目にはじめて頭があがり、二十一日目には二年以前の壮健な時の身と何ら変わるところもなかった。
今朝の御教え(「荻原須喜の伝え1・5」より)