8月9日(日)午後2時から、生神金光大神様月例祭が副教会長祭主のもとにご奉仕された。
祭典後、教祖伝『金光大神』、教典抄『天地は語る』からは125、126節を参拝者等と共に拝読させて頂いた。
天地は語る ―金光教教典抄―
第125節
どんなによい料理屋が隣にあっても、その料理屋のごちそうを食べたことのない人は味を知らない。料理屋のごちそうは食べなくてもよいが、金光大神が話している天地金乃神のおかげは、受けないわけにはいかない。また、多くの人の中には、私は天地金乃神を拝まないがそれでもさしつかえはない、と言う人もある。これは恩を受けて恩知らずというものである。
第126節
事のわからない無茶な者でも、信心していると、打って変わってよくなってくる。それというのは、信心すれば物の道理を聞かされ、道理をわきまえてくるからである。神の道に入れば、ひとりでに人の道を踏むようになるが、人の道をわきまえていると言う者の中には、神の道をわきまえない者がある。