道別17号(大正4年5月10日発行)より転載
※旧漢字や旧仮名遣い等で読みづらい所もありますが、ほぼ原文通りに転載いたします。
千葉の若草道子
田中一家の不幸は死に瀕して来た有様、夫故お姑の進めに因って、養母に夫婦を連れられて稲荷様へお参りした處が、祟があるぞ、其れは二人の妹の祟があるのだと云はれたので早速御祈禱をして貰った。併し一度や二度の加持祈禱で平癒る程の験もなく、又仲仲全癒さうにもないので彼女は何だつまらない!と嘲つた。そして頼にならぬものだと思って仕舞、苦しい幾日を薬に暮して居った其時分或る親族が金光様がよく御霊験が顯つからお参りして見なされと進めて呉れたが彼女は去日に稲荷様をボロクソに嘲ったのでお姑が良人唯一人丈けを参らせて彼女を参らせず、薬丈け飲むがよろしいと云はれるので良人一人で四月二十三日に白神様へお参りした。そして夫が歸ってから色々と金光様のお話を聞いて居る内に心の中で「此の神様こそ信心すべき神様だ」と閃き渡る導火を認めてからは服薬を一切止て白神様へお参りしたのが明治十四年の四月三十日で彼女が二十六歳の春でした。(続く)